第1話:「退屈」
「退屈」だと明確に感じたわけではない。
まだ一歩か、二歩手前。恐らく落ち葉のように散らばった感情が原子のように手を繋ぐと分かり易く退屈という感情になる。ただ充実とは何かが違う。
ゆる子は仕事から岐路に就く車を運転しながらふとそんなことを感じた。決して高くない身長にフィットした軽自動車が畦道を掻き分けていく。横目に見えるのは街頭に照らされた夜桜。仕事にやりがいが無いわけではない。同僚と共に新店舗の立ち上げと初月の売上目標達成という大きなプロジェクトを成功させた。社内の批判も沢山あったし人に動いてもらうのも苦労した。だからこそ達成の瞬間は無機質な数字が「よくがんばったね!」と光っているように見え、涙も流した。一緒にがんばったえりりんとのハイタッチは私の歴史の1ページを刻んだ。
だからこそまたあの成功体験を求めているのかもしれない。ゆる子はそう自己分析した。あの時「すごい鼻水が出てるよ」とえりりんから冷静につっこみを頂いたがそれも時に鬼のような彼女の目に涙が溢れていたからだと思う。
あの瞬間こそ社会人になって都市伝説のようになってしまった青春や生きている実感というものだ。私たちは欲深い。沢山の命を犠牲にし日々生かしてもらっているのに生きているだけでは満足できない。
「退屈なんて贅沢だな」
一人暮らしのマンションに到着しサイドブレーキを左足でぐっと踏みながらそう呟いた。青春という単語は現代ではとてもダサいかもしれない。高校球児のように泥臭いからこそ、そこにはカーネギーもびっくりの心をグッと動かす何かを感じる。「変化を恐れてはだめだ」と自分の内側でかすかに誰かが叫んでいた。
翌日、変化はあちら側からやって来た。変化の名前は大阪への異動だった。覚悟をしていたため驚きは20%といったところだろうか。勤続5年で初めての異動。しかも大阪へはあまり行ったことがない。お昼休憩にやっとえりりんに会えた。
ゆる子「えりりん!」
えりりん「ゆる子!」
この一往復のやり取りと表情だけで、話したかったことの半分以上に済というハンコが押された。えりりんは大阪へ異動になったことを知っていた。そしてえりりんも夏頃には大阪とのこと。
えりりん「少しの間、寂しくなるね」
そう、寂しい。寂しいだけではなく正直えりりんの能力も必要だった。感覚的な私と実証的なコンビの私たちは2人で組んで戦うほど力を発揮した。何よりえりりんは根回しが上手だった。会話の中で相手のことを知り、味方をつくっていく。長身で長い髪、スタイルも良い。えりりんは特に年配の男性に人気があった。時に「やっちゃいましょう!」といったラフなクロージングもえりりんらしさが凝縮されたものだった。働きマンとして仕事をこなす姿を鬼と形容する人もいた。お弁当を食べながら唯一の同期のえりりんに寂しさから来る愚痴を一通りこぼした後、お互いのデスクへ戻った。
えりりんは「大阪に住んでたことあるから友達紹介してあげる」と言っていた。「大阪かぁ」と呟き午後からもまた睨めっこするパソコンと目を合わせた。
---大阪での生活を始め2週間が経った頃、えりりんからメールが届いた。
タイトルには「友達を紹介すると言った件」と書いてあった。律儀な。ドライヤーで髪を乾かした後、ベッドに横たわりメールを開いた。
本文には「ゆる子、フットサルしよ!」と書いてあった。添付されているファイルには楽しそうなフットサルチームの集合写真があった。視覚的にも攻めてくるところが、えりりんらしく少しおかしくなり笑ってしまった。笑顔で映る男女20名ほど。皆赤を基調としたユニフォームを揃えている。写真中央にはヘアゴムで髪をとめた少し若いえりりんが映っていた。胸にチーム名と思われるものがローマ字で書いてあった。「Thousand Happy Knights(サウザンドハッピーナイツ)」(お腹にある)背番号は39。眺めている内に次のメールが届き何度かやり取りをした。要するに、
1.えりりんは大阪時代、フットサルで交友を広げた
2.運動不足も解消できるしストレスも発散できて
サッカーのようだけど奥が深いフットサルを一度やってみてほしい
3.サウザンドハッピーナイツというチーム名は尊敬する人からとったものらしい
4.そのチームが生まれたのも大阪ゆる個サルという団体で出会ったメンバー
5.ゆる子は絶対ハマる(大きな太字での予言)
ということだった。個サルというのは個人つまり一人でも参加できるフットサルの略。集まったメンバーでフットサルするというものでゆる子も聞いたことはあった。これまで運動をちゃんとしてきたわけではないしルールも知らない。なにより運動着も無かった。けれどどこか毎日にアクセントをつける意味も込めてえりりんと話し、ゆる子は次の日曜日に初めてのフットサルに挑戦してみることにした。
第2話:「ウサギ」
日曜日。今回個サルの予約はえりりんが代わりに行ってくれた。そして友人に声をかけたところ、はっしーさんとえりりんの幼馴染のタクヤさんという男性2名が参加できると返信が来たとのこと。「大阪ゆる個サルの代表にも伝えておくのでその2人に色々教えてもらってー!」とメールが届いた。それとタクヤさんがもしえりりんの昔話を始めたら、タクヤさんに見せてという画像も届いた。
服装は学生時代の体操着しか無かった。パジャマ代わりに律儀に持っている、胸にゆる子と書いた恥ずかしい代物だ。「体操着で良いし靴は専用のものなら施設の受付で借りれるよ」と聞き、今回だけの参加となるかもしれないしと、ゆる子は体操着を鞄に詰めて行くことにした。
大阪の様々な施設でコートをレンタルし個サルとして人を集めているのが大阪ゆる個サルらしい。日曜日は東淀川の上新庄駅にあるフットサルポコタという施設での開催。住んでいる最寄り駅からは環状線で1駅、梅田駅から大阪メトロ御堂筋線で西中島南方駅まで行き、阪急に乗り換える。アプリで調べると28分で到着するようだ。思ったより近い。電車に乗ったゆる子は西中島南方駅で乗り換える時、頭にウサギの耳をつけている肩幅のしっかりとした男性を見かけた。そのキャラクターは千葉県の遊園地のキャラクターなのになと不思議に思ったためあまり見ないようにした。
上新庄駅に到着すると、えりりんに教わった通り北口の改札から出た。先ほど見かけたウサギの耳の男性が前を歩いているのに気づいた。駅を出て左折し北へ真っ直ぐ。左手に見えるコンビニ、ワンエイトマートを右。そこから真っ直ぐ歩いていると前を歩いていたウサギ耳の男性は突如として消えた。消えた場所を見るとそこはマンションの敷地内だった。追いかけるとアリスのように不思議の国に行くのかなと思った。好奇心もあったがマンションへは入らず、突き当たりまで歩き左折した。上新庄駅から徒歩5分、フットサルポコタの看板が見えた。キリンやゴリラの大きな置物が置いてあるメルヘンな施設だったため、フットサル場ってこんな感じなんだと驚いた。フットサルポコタにはコートが4つあり建物の2階コートが集合場所だった。受付で300円払いフットサルシューズを借りた。名札にアマミズと書いたおじさんが笑顔で対応してくださった。施設は見る限り結構昔からあるようだ。
「楽しめるかな」
一回だけ深呼吸し、ゆる子は借りたシューズを手に、力強く階段を上がった。
2階コート前でゆる子は足を止めた。目の前にさっき歩いていたウサギ耳をつけた男性がいたからだ。固まっていると大阪ゆる個サル代表と名乗る方が声をかけてくれた。挨拶を交わし自己紹介をすると、えりりんから聞いていますと更衣室を案内された。着替えながら「あのウサギは何者なの」という想いが頭に張り付いたままだった。
コン、コン、コンとノックの音がした。
「どうぞ」
入ってきたのは同じ位の身長でくりっとした目のかわいい女性だった。表情が少し眠そうに感じた。ゆる子が着替え終わった時、隣で着替えていたその女性を見ると赤のユニフォーム姿になっていた。それは写真のえりりんが着ていたものだった。
「ハッピーナイツ!」
思わず声に出してしまった。
「え?ハピナイ知ってるの?」
ハピナイはサウザンドハッピーナイツの略らしい。
「今日初めてフットサルするんですけど、えりりんっていう紹介してくれた同僚が着ていたんです」
その子はえりりんと聞くとお腹を抱えて笑った。
「えりりん!知ってる!あの子、ドリブルとかシュートが上手すぎて、攻めの鬼って異名があるのよ」
「え?職場でも鬼って呼ばれてるけど!」
初対面の人が仲良くなるのに共通点が重要と言うが、私たちはえりりんが職場でもフットサルでも鬼と呼ばれているのを知り笑った。仲良くなるには十分な理由だった。ハピナイの背番号48。その子はあいちゃんというらしい。えりりんが大阪から離れる直前にチームに入ったためあまりえりりんと接点はなかったようだが鬼伝説はえりりんの分身として皆の心にいるようだ。
「そうだ!あいちゃん、さっき会ったんだけど、ウサギの耳を付けていた人知ってる?」
「知ってるよ!はっしーさんでしょ」
「え」
えりりんは友人を2人呼んだと言っていた。幼馴染のタクヤさんとはっしーさん。
え?あの人がはっしーさん??
第3話:「練習」
はっしー「イエス!私がはっしーです」
更衣室を出て早速「はっしーさんですか?」とウサギ耳の男性に直撃した回答は信じ難いが予想通りのものだった。ゆる子は拝啓から始まるえりりんへのクレームを考えていた。
はっしーさんは青い98年サッカー日本代表モデルを着用しており袖で炎の柄が燃えていた。
「変な人だけど変な人じゃないから安心してね(笑)」
あいちゃんはさらっとそう言った。なんというパラドックスだろう。この言葉を人工知能が理解する日は来るのだろうか。驚いてしまったが、あいちゃん曰くはっしーさんは人を笑わせることばかり考えているそう。ウサギの耳とクラシックな代表ユニフォームを見て、他の参加者と思われる方も盛り上がっている。関西人は恐ろしいと思ったが、あいちゃんが「確か北陸地方出身だよ」と教えてくれた。
「あ、ゆる子さん初めまして!タクヤです」
短髪、ギョロっとした目、右手にバナナ。何を隠そうゆる子の体操着は胸の名前が自己主張していて個人情報が開示されている。パーマンのように胸にプライバシーマークをつけておくべきだったかと思ったが、ともあれ2人と合流できた。挨拶を交わした直後に大阪ゆる個サルの代表が大きい声でウォーミングアップを奨励していた。あいちゃんに声をかけようと探すとベンチで眠っていた。疲れているのだろうか。とにかく皆キャラがしっかりしている。ウサギ耳のはっしーさん、バナナを持ってるタクヤさん、眠り姫のあいちゃん。私は大丈夫なのだろうかと頭の中でハムスターがホイールをぐるぐる回していた。
「ゆる子さん、ストレッチしましょう!」
バナナを食べ終わったタクヤが言った。コートの中に促され目覚めたあいちゃんと共に芝生に座った。あいちゃんに「大丈夫?」と聞くと「隙があれば寝てしまうだけだから大丈夫」と返ってきた。少し安心した。「とにかく寝ている時が幸せなの」という発言は小動物のように愛くるしかった。ふと動物はなぜあんなにかわいい寝顔をするのだろうと思った。人工芝とはいえ地面に座るのは懐かしい感覚で学生時代を思い出す。
「フットサルは足だけでするスポーツじゃないんですよ。例えばボールは足の力だけで蹴ろうとすると股関節なんかを痛めてしまいます。そのためボールは全身で蹴ります!それに周りを見るため迷子になったようにキョロキョロしないといけません。だから全身軽く伸ばしましょう!」
屈託の無い笑顔でタクヤは言った。タクヤと共に少し走った後、末端から一通りストレッチをした。「今から動かすよと筋肉たちに教えてあげるのが大切です」タクヤは丁寧に教えてくれた。ストレッチが終わったところではっしーさんがこちらへ来た。ウサギの耳はもうついていなかった。
「ゆる子ちゃん、早速だけどボールを蹴ってみよう。基本的な止め方と蹴り方、そして今日最後まで無事に楽しめるようにサポートしてとえりりんとゆる個サルの代表から頼まれてるからね。わからなければ何でも聞いてね」
「お願いします!」
「まずパスが来た時のボールの止め方。こうやって踏もうとするとタイミングをミスしたら後ろにいっちゃうよね。だから野球のキャッチャーみたいに爪先を少し上に上げて構えるんだ。止めた後すぐにボールを蹴れるよう、基本膝はほぼ伸ばしたままにしてね」
実際にやってみると片足立ちになるためバランスを崩しそうになる。
「うん。いい感じだね。実際パスは横に逸れてくることもあるから、そういう時は足の内側でもどこでもとにかくボールを止める、又はちょっと動かしたりしてみて、相手に奪われずこうやってボールを自分のものにできればオッケーかな。重要なのは目的と手段を間違えないこと。最初は止めるっていうのが目的だから全部足の裏っていう手段にこだわらないでね」
レクチャーも交えとても丁寧に教えてくれている。最初見かけた時の評価値がマイナスだったため株価は高騰しやすい。このギャップはずるいと感じた。
「次はインサイドキック!フットサルはコートが狭いこともありパスの比重が高いんだ。そのパスを一番正確に蹴れるのがインサイド、つまり足の内側のキックだね。何故足の内側が正確かというとボールに触れる面積が一番広いからだよ」
「蹴り方は見た目こんな感じなんだけど、意識する点をひとつずつ伝えていくね。まず軸足と言ってボールを蹴らない方の足はこのようにボールの真横、拳一個分あけて踏み込みます。そうそう!膝は少し曲げた方が蹴る方の足がスムーズに出せると思うよ。爪先は基本蹴る方向を向けることも忘れずに。続いて蹴り足って言って蹴る方の足編に移るよ。こうやって蛙みたいにガニ股に開きます。基本は真っ直ぐ引いて真っ直ぐ押し出す。蹴るというよりはボールの中心を全身で押し出すようなイメージかな。上半身は正面を向いたまま。そう、いい感じ!」
「いいねー。センスあるよ」
タクヤが誉めてくれた。
「...ありがとうございます!褒めて伸ばせってえりりんに言われてませんか?」
「あはは、鋭いねー!けど残念。褒めて伸ばすのは僕たちの流儀だよ」
はっしーは続けた。
「こういう縦回転のグラウンダーって言うんだけど、浮いていないボールを味方に届けてあげるようにね。浮いちゃうと味方がミスしちゃうからね」
「パスはプレゼントだからね。味方をしっかり見て出してあげて!バナナが嫌いな人にバナナを贈ったらダメだからね」
「なんですかそれは(笑)」
タクヤのたとえにあいがつっこんだ。
「味方がほしいところにパスを出すにはしっかり顔を上げてからボールを蹴るのが基本になるんだ。プレゼントを贈る時、普段から相手をしっかり観察するのと同じってことかな」
はっしー「なんかよくわからないけど良いこと言ってる気がする」
右足で蹴る時は左手を使い全身を連動させて蹴るなどと、コツを簡単に教わりやってみて簡単に指摘してもらった後、笛が鳴り集合の時間が来た。一旦お礼を告げ皆でコート中央に集まった。
20名ほどの人数がいた。見た目から20代から40代くらいまでの年齢の方がいるようだった。ゆる子は知識がなかったためわからなかったが、あいちゃんのように自身の所属するチームのユニフォームを着ている人や、フットサルブランド、Jリーグの北海道や大阪のチームユニフォーム、そして何故か埼玉の野球チームのユニフォームを着ている人もいた。本当に色んな人が来るんだなぁと感心した。ファウルに注意、最低限のフットサルルールの遵守、特に女性へ配慮することを管理人が話し、チーム分けの後、早速試合が始まった。